岡田以蔵(おかだいぞう)
岡田以蔵は武士の中でも一番下の足軽(あしがる)の子として育ちました。
剣術は達者で、「人斬り以蔵」と呼ばれ恐れられました。
土佐勤王党の手先としてたくさんの反対派を殺したので、28歳にて打ち首になり
鏡川のがん切橋(現在の紅葉橋)にその首がさらされました。
以蔵も又、土佐の生まれで封建制度(ほうけんせいど)の犠牲者だったと言えます。
写真は龍馬歴史館
紅葉橋(雁切河原近く)
龍馬の家から鏡川を少し上流へ
岡田以蔵の生きた幕末当時、この付近に「雁切河原」がありました。
当時は、橋ではなく渡し船があったのみで橋が架けられたのは
明治2年で当初 「雁切橋」 と呼ばれていました。
江戸時代はこの橋の20m程下流側に刑場があり
岡田以蔵の首もここで晒された。
